清水署の取調室。取調官が容疑者に、奇妙な賭けを迫っている。 「僕の、パジャマに、他人の血液が付いていたら、僕の首をやりますと」「付いていなかったらM(取調官)の首をやります ...
「……今朝方、母さんの夢を見ました。元気でした。夢の様に元気でおられたら私はうれしいが。お母さん、遠からず無罪 ...
袴田さんへの死刑判決を出した一審・ 静岡地裁 での審理で、検察側が証拠提出した袴田さんの 供述調書 ...
「犯人はお前以外には考えられんではないか、とか、大声で責め続けることがありましたか」。1968年に袴田巌さん(81)への死刑判決を出した一審・ 静岡地裁 での審理。検察官の問いかけに、証人として出廷した県警の捜査員ははっきりと答えた。
巨大なコンクリートの要塞(ようさい)のような 東京拘置所 ( 東京都 葛飾区 )。「このどこか奥深くに袴田さんがいるんだな」。戸舘圭之弁護士(37)はかつて、依頼人との面会でここを訪れる度に中の様子を想像した。
静岡地裁 の再審開始決定に対する 即時抗告 審が続く 東京高裁 。昨年9月下旬、決定の決め手となったDNA型鑑定をした本田克也・ 筑波大 教授と、その検証実験をした鈴木広一・ 大阪医大 教授の鑑定人尋問が非公開で行われた。
死刑確定後の1983年から弁護団に参加。当時の袴田さんの日記を読むと、 日本弁護士連合会 ...
当時の関係者の中には、袴田巌が犯人と固く信じる人も少なくない。みそタンクから犯行時の着衣とされる「5点の衣類」を見つけた元従業員(82)は「ほかにやる人はいない」。吐き捨てるように「今さら再審なんて、ばかばかしい」と話す元従業員もいる。
事件前夜の1966年6月29日にも、現場となった家を訪れた。午後7時、いつものように「こんばんは」と雅一郎の母ちえ子に声をかけ、勉強部屋に入った。勉強机が散らかっていて「掃除しないと」と注意したのを覚えている。
熊本は当時の経緯を、再審を求める上申書につづった。約2年間にわたる静岡地裁の公判を通じ、「袴田は無罪」と感じていた。起案用紙に360枚の無罪判決文を書いたが、3人の裁判官の合議の結果は2対1で有罪。「取り決めだから書いてくれ」。石見勝四裁判長から求め ...
2014年に朝日新聞に掲載された、 袴田巌 さんに関する連載を再配信しました。肩書や年齢などは当時のままです。 (敬称略) 弁護士の角替清美(40)は2006年、 静岡市 で開かれた袴田巌の支援者の勉強会に参加した時、そう感じた。当時は、 司法試験 ...
裁判員裁判 が2009年に始まるのを前に、弁護側に証拠開示を求める権利が05年の 刑事訴訟法 改正で認められた。袴田の再審請求に関わる新屋達之・大宮 法科大学院 大教授は「再審事件に直接適用されないが、裁判所が証拠開示を勧告しやすくなった」と話す。